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12話. 隠さないドレス

Author: 6jay
last update publish date: 2026-09-24 23:26:03

数週間のレッスンを終え、ブランドのガラパーティーまで、あと3日となった土曜の午後。

雅人は、南青山のブランド街にある高級ドレスサロンでのフィッティングを、一方的に紗月へ告げた。

『目立たないように、一番おとなしくて、体が隠れるものを選んでおけよ。所帯じみた格好で、俺に恥をかかせるな』

朝、出勤前に投げつけられた言葉が、まだ耳に残っていた。

妻は舞台をともにする相手ではなく、欠点を隠すべき不良品。そんな、卑しい扱いだった。

妊娠と出産、1人きりの子育ての間も、夫の会社のために昼夜を問わずデザインをしてきた。6年間の果てに返ってきたのは、侮辱と欺きだけだった。

花音を母に預け、紗月は背筋を伸ばしてサロンのドアを開けた。

クラシック音楽の流れる、華やかなクリスタルのシャンデリアの下。チーフデザイナーが丁重に迎えた。

「いらっしゃいませ。一条社長の奥様ですね。社長から、できるだけおとなしく、肌の出ないものをと、念を押されております」

並べられたのは、くすんだ灰色がかった無彩色のドレスばかり。

全身をゆったり覆う、寸胴なシルエットだった。

妻を、みすぼらしく無力な影の中に閉じ込めておきたい。夫の支配欲が、服の形になってそこにあった。

紗月の口元が、涼しく持ち上がった。

「いいえ。それは全部、下げてください」

「……はい? ですが奥様、社長が直接お選びになった方針でして……」

紗月はサロンの奥、中央のマネキンに掛かったエメラルド色のシルクを指した。

「あちらを着てみます」

首筋と鎖骨をすっきり見せ、背中が深いU字に開いた、大胆なバックレスドレスだった。

背骨に沿う筋肉と、肩甲骨の曲線まで見える。

デザイナーが戸惑い、慎重に止めた。

「こちらは、姿勢や背中の丸みが少しでもあると、はっきり出る難しいデザインです。ご出産後の方には、抵抗のある場合が多いのですが……」

「大丈夫です。フィッティングルームへお願いします。自分の体は、私が一番よく知っています」

静かで、断固とした声に、デザイナーはうなずき、ドレスを運んだ。

個室の鏡の前で服を脱ぎ、紗月は自分の体と向き合った。

怜司の手に支えられ、毎日息を切らしながら伸ばしてきた胸椎と肩甲骨。引き締まったお腹と骨盤。

産後に崩れた体ではない。

痛みに向き合い、自分の足で立つ女の、確かな体が映っていた。

深く息を吸い、肋骨を整え、下腹をコルセットのように締めた。そして、やわらかなシルクへ体を滑り込ませた。

さらり、と。

冷たくなめらかな布が、くびれた腰と張りのあるヒップを、波のように伝い落ちる。

ファスナーが上がると、背中のまっすぐな線がはっきり現れた。

厚い遮光ベルベットのカーテンが開いた。

待っていたデザイナーとスタッフたちが、そろって息をのんだ。

「まあ……!」

目を丸くしたデザイナーが、しばらく口を閉じられずにいた。

「背中が浮くところもありませんね。肩の位置もぴったりです。社長のお話だけで、隠す服ばかりお勧めしてしまいました」

鏡の中の、自分。

内側に入っていた肩は開き、肩甲骨が優美な線を描いている。

すっと伸びた背中には、息をのむほど艶やかな輪郭があった。

6年間、夫の言葉に閉じ込められて泣いていた、惨めな奥様はどこにもいない。

怜司の確かな支えの中で、自分の足で立ち直ったデザイナー、橘紗月がいた。

(私の体は、一度だってだめになったわけじゃない。重いものを、1人で背負ってきただけ)

胸の奥から、熱い解放感と喜びが湧き上がった。

「このドレスにします。お直しはせず、このまま用意してください」

声は澄んでいた。震えはなかった。

サロンを出て車へ戻ったところで、理沙から急ぎの電話が入った。

『紗月、決定的な動きがわかった』

「何があったの?」

『雅人さん、あなたが作ったブランドの商標権とデザインの著作権を、沙耶名義の会社へ移すつもりよ。セラフィック・スタジオっていう会社。二束三文で譲渡する契約書まで作っているらしい。まず、処分を止める仮処分を申し立てる。投資会社にも資料を渡さないと』

紗月の目が、冷たい刃のように沈んだ。

「わかった。全部盗もうとした報いは、ガラで受けてもらうわ」

通話が終わっても、車のドアを開けなかった。

夫が浮気をすることと、自分の作った名前をあの女へ渡すこと。同じ裏切りなのに、傷つく場所が違った。

サロンでもらったフィッティング写真を開く。

ドレスより、肩を開いた自分の顔を長く見た。

この女を、夫が選んだ服の中へ、また隠してしまうわけにはいかない。

写真を保存し、理沙に契約書の確保を頼むメッセージを送った。

エメラルドのドレスは、パーティーの前に届く予定だった。

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